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 ピピピピ、と目覚ましが耳障りな音を立てた。寝ぼけ眼のまま音を止めようとして、昨晩位置を変えたことを思い出す。ベッドから手の届く位置に置いては止めて、また寝てしまう。それを防ごうとしたのは覚えている。だからといって、何でこんな面倒なことを昨日の自分はしたのだろう、と思いながら神崎清華は重い体を布団から引き剥がした。
 あふ、とこみ上げてきた欠伸は、裸足の爪先が冷えた床に触れたことで掻き消えた。体をびくりとふるわせて、目が完全に醒めてしまったことを自覚する。ふう、とため息をついて寝癖の着いた髪をかき回した。
「おはよう、清華ちゃん。相変わらず、すごい寝癖ねえ」
 朝食の準備をしていたらしい遥が苦笑混じりに声をかけてくる。彼女は朝食を食堂で取ろうとしない。なぜかと聞いたことがある。「だって、三食食堂なんて女の子らしくないじゃない」と笑っていた。
「おはようございます。今から直してくるんです」
 唇を尖らせてそう言えば、あらそう、と遥が笑った。
「じゃあ、終わった頃にご飯できあがるようにしておくから」
「……ありがとうございます」
 さっきのままの調子で応えると、遥がまた笑った。

 礼儀正しく手を合わせて「いただきます」と頭を下げる。どうぞ、と遥が応える。そういえば、と遥が切り出した。
「清華ちゃん、最近隼人見た? なんか忙しそうなのよね」
「内藤さんですか? 見てませんけど、どうかしました?」
 言外に忙しいんじゃないですか、と言って清華は首を傾げた。なぜ自分に聞くのだろう、と思ったしそれに、内藤の仕事内容については清華よりよっぽど遥の方が詳しいはずだ。いやね、と遥がため息をついた。
「だってあいつ、暇さえあれば清華ちゃんの顔見ようとするじゃない。食堂いく時間あわせたりとか」
「そう、なんですか?」
「そうよ」
 妬けちゃうわあ、と笑いながら遥が断言した。
「中学からずっと一緒なんだもの。分からないはずがないじゃない」
 笑った後に眇められた目がひどく暗いような気がして、思わず清華は身構えた。頬杖をついて、にこりと遥が笑う。
「かーわいい」
「……あ、ありがとうございます?」
「やっぱりかーわいい」
 遥が満足したように破顔した。その顔の邪気のなさにほっと肩の力を抜く。
「ま、でもこれから忙しくなるかもね」
「え、なんでですか?」
「カンよ、カン。あと経験則ね」
「経験則?」
 鸚鵡返しに聞くと、遥がにやりと笑った。引き込むような笑みに思わず身を乗り出した。
「そ。大体男ってのはバカで、お祭り騒ぎが好きなのよ」
 ぷ、と思わず吹き出す。
「は、遥さん、上手すぎ……!!」
 でしょう、と遥が自慢げに笑った。
「馬鹿騒ぎして迷惑するのは私たちなのに、それを考えないとこが馬鹿よねえ。いい加減テロリズムなんてやめてそのことに気付くべきだわ。そうすれば誰も傷つかなかったのに」
 その通りですね、とは言えなかった。今はもういない怜の顔が浮かんできて、消える。加害者と被害者の立場は明確に違う。無差別に他人を傷つけた行為に涙が出そうになって、憎しみがわき起こる。そんな清華を察したように遥が頭を撫でた。
「だからね、清華ちゃんは誰も傷つけないように。傷つけてしまうなら、そのことを忘れないように」
 無言で頷く。忘れてはいけないのだ。ナイフで人を切ったときの感触を忘れてはいけない。恐怖におののいたことを忘れてはいけない。
 割に大柄な、丸顔の男のことを思いだした。高校を辞めて復讐のためだけに花街に足をつっこんだとき助けてくれた男だ。いつの間にか武器の扱いも教えてくれていた。きっと彼は人がよかったのだ。そこにいる間、清華は人を傷つけていない。
「ああもう、だからそんな顔しないの。駄目。そんな顔させたかったわけじゃないんだから」
「……ごめんなさい」
 俯いた頭を遥が優しく撫でる。瞼の裏に見え隠れする人の顔を塗りつぶすように目を閉じた。








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