09






 吸い口ぎりぎりまでに喫った煙草を灰皿に押し付けて火を消す。そのまま行儀悪く食堂のテーブルに足をかけ背をのけぞらせた。背中が伸びて心地よい。
 出動から3日ほどたった今日、やっと内藤も寮に帰れるようになった。だが、どうにも眠れそうにない。それはきっと夕食の後に飲んだコーヒーのせいではなく、まだ精神が高ぶっているのだろう。実際問題、復讐心に燃えたテログループがいつテロを仕掛けてくるかわからない。
 いや違う、と思って、内藤は再び煙草を吸おうと胸ポケットに手を伸ばした。出てきたそれはしかし空で、思わず空箱をぐしゃりと握りつぶす。はあ、と息をついた。
「……内藤さん?」
「あ?」
 出入り口付近に、人影が一つ。夜間、もう遅いとあって照明が落とされた中でも、その細いシルエットはよく見えた。
「神埼、か?」
「はい」
 ゆっくりと清華が近付いてきて、そのまま内藤の隣に座った。内藤もテーブルの上に上げていた足を下ろして、清華の方を見た。すでに秋も深まっていい頃なのに、清華は薄着で、内藤は思わず目を見開く。
「……そんな薄着だと、誰に襲われるか分かんねえぞ」
「内藤さんはそんなことしないでしょう? 他の人だったらわかりませんけど」
 要は、男として意識されてないってことだな、と内藤は思った。そんな信頼は要らないとも。もちろん顔には出さない。
「こんな時間にどうしたんだよ」
「ちょっと眠れなくて」
 へえ、と答えて、所在なさげに膝の上で組まれた清華の手を見る。左手が、右手を握りなおした。
「なんか、あったか」
「いえ、今日は何も」
「……ああ、一班は今日外回りだったか」
 はい、と清華が頷く。それでは確かに何もなかっただろう。テロリストと接触したという報告は入っていない。あのとき、組織の上層部もかなりいたようだからまだ組織の再建ができていないのだろう。
 では、なんだ。あの時に何かあったか。首を突っ込みたくなるのは少なからず好意ないし興味を内藤が清華に対して持っているからだろう。
「……内藤さんは、始めて人を殺した時、何を感じましたか」
「ああ? んだよ急に……そうだなあ、ま、必死だったな」
「必死?」
「そりゃそうだろ。あっちだって生き残るのに必死なんだから」
「ああ、なるほど」
 きゅ、と再び清華が手を握りなおす。なにがなるほどだ、と内藤は奥歯を噛んだ。こういう時、煙草が無い事の不便さを思い知る。電気煙草でもなかったか、と胸ポケットを探るが、やはり出てくるわけもない。
「……なんかあったのか」
 二度めの問いを、意を決して、というのはいささか言い過ぎかもしれないが、それくらい息を詰めて内藤が清華に問う。しばらく間が開いた後、やっと清華が口を開いた。
「……何かあったと言われればありましたし、ないと言われればなかったです」
「……意味が分かんねえんだが」
 そう、やや憮然としながら内藤が言うと、そうですか、と清華が口元だけで笑ったように感じた。表情をみたいと思うが、相変わらずうつむいているせいでよくわからない。
 そのまま、互いに何かを言うわけでもなく、勝手な方向を向いて暫くがすぎる。内藤はただじっと入り口の非常灯を見つめ、同じように清華は自分の拳を見つめていた。やがて、それこそ意を決したように、内藤さん、と清華が呼ばう。
「なんだよ」
「私、決めました」
「なにを」
「もう、ナイフは使いません」
 なんでだ、と内藤は聞かなかった。聞きたい気持ちも多々あったが、とりあえずそうか、とだけ言っておく。理由なんてものは話したければ話すだろう。
「そうか。まあ、頑張れ」
「……はい」
 頑張ります、と清華が呟く。そうかそうかと何度も言うのも気が引けたので、内藤はとりあえずその頭をなでてやった。さらさらの髪は存外手触りがよく、ずっと触りたくなる。
「……あの、内藤さん」
「ん、なんだ」
「実際気落ちしてたので撫でてもらうのはありがたいんですけど、もう、いいですか」
「ああ、悪かったな。いいぞ」
 残念だとは思うが手をおろすと、清華がゆっくりと椅子から立ち上がった。そこに、不安定そうな様子が見つけられなくなっていて、内藤は静かに安堵する。
「じゃあ、ありがとうございました」
「ああ。風邪なんかひくなよ」
「大丈夫ですよ。内藤さんのほうが、ちゃんと体調管理できてるか心配です」
「なんだ、心配してくれんのか?」
「ええ、内藤さんに倒れられたらTPFは破綻しちゃうと思いますから」
 主に瀬崎班長のせいで、と付け加えるのを清華は忘れなかった。なるほどそりゃ確かに倒れられねえな、と内藤も笑いつつ、その下に正反対の心情を押し隠す。善意しかない言葉というのは時につらい。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 ひらひらと手を振って、内藤は目の前のコップにわずかに残った水を飲み下した。








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