07






 立て続けに2杯、3杯、とグラスを煽る。飲んでいるのは勿論水だ。酒もあったが、まだ未成年だし、と止めておいた。水を飲み乾して、ぷはっと息を吐く。そのままスーツの襟元を緩めたいような衝動に駆られたが、そこは我慢しておいた。端と言えどもここはパーティー会場だ。自分の部屋やなんかではない。
 休憩がてら、壁に寄りかかって会場全体を見回す。さっきまで自分がいた飲み物がおいてあるテーブル。それから少し離れたところに軽くつまめるものがおいてあるテーブル群。その周りにはやはりと言うかなんというか、大勢の人たちが集まって今の政治の問題点やらを論じている。ナオこそ飲んでいないが、酒の入ったものも大勢いるようだった。遠くの方で、ナオと変わらないか、もしくは1つ2つ年上の若者たちが酒によって馬鹿騒ぎをしている。本人たちは真面目にしているのかもしれないが、両手をばたばたとせわしなく振って見せたりしているのは遠目から見てふざけているようにしか見えない。
 恥ずかしい。若輩なら若輩らしく、先達を見習って議論の輪に入ればいいのだ。同じくらいのものとかたまっているより、そちらの方がよほど有益だ。自分たちのためにも、日本の未来のためにも。
 あれと同列に見られていたら嫌だな、と思いつつ視線をまた別の方向に投げると、ユウがこっちへやってくるところだった。休憩かな、とぼんやり思う。
「やあナオ。休憩かい?」
「はい。ユウさんもですか?」
「うん、ちょっと喉も渇いたしね。ああそうだ、さっきのはなかなか良かったよ」
「いえそんな……。恥ずかしいです」
「そうかい? 理想は誰にでもあるものだよ。それをちゃんと言葉にして誰かに語れるというのは、それだけで素晴らしいと僕は思うよ」
「ありがとうございます」
本当に、尊敬できる先達というのはいいものだ。歳が離れすぎていると迂闊には近寄りがたいものがあるし、逆に一つ二つしか違わないのに先輩面をされると苛々する。これは中高時代の部活動でも感じたことだった。その点ユウは理想だ、と誇らしく思う。
 そのとき、大きな笑い声が起こった。思わず、声の出どころを探そうと首を回す。会場の隅の方、若輩達の集団。そのことに気付いて、ナオはちっと舌打ちを漏らした。一瞬、ユウがあっけにとられた顔をして、くすくすと笑いだす。
「……すみません」
「いや、いいよ。君にもそんな嫌いなものがあるんだな」
 その言葉に、思わず尾崎は顔が赤くなるのを感じた。まだまだ自分は未熟だ。しどろもどろにならないように、少し弁解をする。
「嫌いと言うか、馬鹿らしいと思うだけです。知識を広めたいと思うのなら、同輩で固まっているのではなく、先達の話を聞いていた方がよほどためになると思うだけです」
「はは、そうか」
「笑わないでください……」
 恥を隠すようにまた水を煽る。それにユウが目を止めた。
「さっきから飲んでるそれ、全部水?」
「え? あ、はい。まだ一応未成年なので」
「大学で飲まされたりはしなかった?」
「あー……あまり、そういうのに行く気になれなくて」
「それは駄目だ。ああいうところで思いがけないものを得ることもある。酒は呑まなくてもいいから今度行ってきてごらん」
「はあ」
 意外な言葉の強さに押されるように頷く。それに満足したようにユウも頷いた。
 なにか、あったのだろうか。もしかしたらそこで、こうした活動に出会ったのかもしれない。
 考え込んでいると、ユウが肩を叩いてきた。
「はい?」
「ちょっと失礼するよ」
「あ、はい」
 どこへ、と問う間もなくユウは離れて行った。そのまま、会場の外へと出る。トイレか、と見当をつけたところで、ふっとナオ自身も意識してしまったが故か、トイレに行きたくなった。水を飲みすぎたからだ、と急いで会場を出る。

「こうして出てみると、意外に暑かったんだな」
「そうですね、人も多かったですし」
「そうだね。議論に熱くなっているときは気付かないが」
「ええ」
 戻ろう、とどちらともなく言って、廊下を曲がろうとした時だった。
「TPFだ、抵抗せず、おとなしく投降しろ!」
 まだ若い、男の切り裂くような声。それに一瞬遅れて響いた怒号。びくり、とナオの足が止まる。なんだこれは。投稿しろ、ということは、政府に、この会合が露見したのか。気ばかりが急くナオを落ち着かせるようにユウが肩をたたいた。
「落ち着いて。はやく、この場を離れなければ」
「え」
「こっちだ」
 痛いほどに手首を掴まれ、会場と反対方向に引きずられる。突然の事態に混乱した頭をどうにか落ち着かせ、ナオはユウに聞いた。
「ユウさん、何処に行こうとしてるんですか。会場に戻った方がいいのでは」
「この状態では会場に戻ることの方が危険だよ、それに彼らはまだ正式な国家の組織と認められていないから、大掛かりな包囲網を敷くことはできない。それにたしか、警察との折り合いも悪かったはずだしね」
 返された言葉に、ますます意味が分からなくなる。もしや――
 もしかして、ユウは政府側のスパイだったのだろうか。
 そんなナオの思いを読み取ったかのようにユウが言った。
「言っておくけど、僕はスパイなんかではない。そのことは勘違いしないでくれ」
 その言葉に安心するも、疑問は消えない。
「なら、どうして会場の皆を置いていくんですか」
「仕方が無い事なんだ、ここで、革命の芽が全て潰されるわけにはいかない」
「は?」
 意味が解らず、掴まれた手を引く。来たときに使ったのとは逆方向のエレベータホールだったが、会場から大して離れているわけではない。それに、彼らを助けないでどうするのだ。二号や、その他のナオにいろいろと話して聞かせてくれた人間の顔が思い浮かぶ。
 だが、ユウはその手を断固として離さなかった。そしてひどく冷静に、エレベーターを呼ぶ。3階と表示されたそれはくるまでなかなか時間がかかりそうだった。
「今戻ったところでどうなる。彼らは銃を持つ訓練された軍団だ。あの音が聞こえないのか」
 その声に、やっとナオの耳はばらばらと聞こえてくる音が銃弾の音だと理解した。ユウは続ける。
「対して君はどうだ。銃も持たず、訓練したこともない。そんな君が彼らの前に出て行ってどうなる。蜂の巣になるのがおちだろう」
 ぐ、とその言葉に唇を噛む。
「だとすれば、君のできることはなんだ。彼らの遺志を、まだ生きている仲間に伝えることだろう。落ち着きなさい」
 彼らを救えないことが悔しい。己の無力さが悔しい。噛み締めて、微かに血の滲んだ唇からは、と細く息を吐き出す。現実は、受け入れなければならないのだ。
「ん、おい、この階で何をしている?! 神ア!」
「ちっ、まずい時に……」
 遠くから高い返事の声が聞こえたのと、後ろで呑気にぽーんと音が鳴るのが、ほぼ同時だった。音もなく開いたそれに、ユウがナオの手首をつかんだままさっさと乗り込む。
「おい! 待て!!」
「武田さん? 何か……」
 はっと姿を現した女の顔が強張る。ユウがエレベーターの閉ボタンを押す。音もなく狭まっていく向こう側の景色。
「神ア……神ア、清華?」
「……尾崎?」
 何の音も立てず、ドアが閉まった。そのまま、若干の浮遊感と共にエレベーターは階下へと降りていく。
 混乱するナオの横で、ユウが口を開いた。
「下につく前に眼鏡をかけておいた方がいい」
「あ、はい」
 ジャケットの内ポケットから眼鏡を取り出し、コンタクトを外す。デザインは気に入らないが、流石に度はばっちりあっているだけによく見える。ユウも隣りで同じように眼鏡をかけていた。
「……さっきの彼女、知り合いかい?」
「え、ああ、多分、ですが。高校の時のクラスメイトとよく似ていた気がしたので」
「なるほど。ところで、尾崎と言うのは君の本名かな?」
「……はい」
「そうか。……しかし、奇妙な巡り合わせだな。この場にはおそらく彼もいたことだろうし」
 その言葉に、奇妙な感覚を覚えてナオはユウを見た。そういえば、さっきもやけに乗り込んできた組織のことに詳しかったような気がする。
「あの、ユウさんは何をなさっている方なのでしょうか」
「ん? ああ、そうか、君の事ばかり聞いていささか不公平だったかな。僕の本名は鈴木祐介、法務省に勤務している」
 そう言って、微かにユウは苦笑を漏らした。
「だから、さっき君の言っていたスパイと言うのは、あながち間違いじゃないな。勿論、あちら側に情報を流してやったことなど一度もないが。……だから、今回のことは彼ら自身が嗅ぎつけたんだろうな」
 エレベーターが地下駐車場に着く。そのまま、先導するユウに従いユウの車でホテルを去る。何とはなしに過ぎ去っていく景色を目で追う。
 ひどく、悔しかった。そして、憎かった。ぐ、とまた唇を噛み締める。そして、もっと強くならなければならない、と尾崎は決意した。








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