04






 ばたばたと廊下を駆ける足音が聞こえてくる。通常の職場ならそれは煩いと眉を顰められる類の物だがここではそんな馬鹿はいない。なにせ、極力走って移動しろ、「エレベーターは使うな、階段を駆けろ」が暗黙の了解として成り立っているのだ。此処、後方部はそんな喧騒とは本来無縁であるはずだったのだが、今回ばかりはそうはいかなかった。
「班長、仕入れ終了しました」
「はいはい、OKっと」
 チェックをしてそう言いに来た部下にお疲れ様、と声をかける。班長こそ、と返して走り去っていく男に可愛いなあ、と呟きながら遥は空など見えもしないのに天井を仰いだ。
「気合入ってるわねー」
 そう言って浮かび上がった男の影に苦笑して、遥は首を元に戻した。
「私たちも、ね」
 TPFにおいて後方部は非常に影が薄い部である。かと言って蔑ろにされているわけではなく、目立つ仕事がないだけの話である。だから前衛部の方でも知らぬ者はいないし、知らなければ生きていくこともできない。まさしく縁の下の力持ちであった。
 後方部は主に情報班と支援班に分かれている。情報班班長に林享というのは納得したが、支援班班長に小松遥というのはいささか身贔屓が過ぎるのではないかという当初の声も、次第に消えた。
「班長ー! すみません、来ていただけますかー?」
「いいわよー!」
 彼らのために、今出来ることを。整備ミスで死ぬことなど、こちらにとってもあちらにとっても論外である。だから、念には念を。きっと、火器類の点検はぎりぎりまで続くのであろう。それでも構わないと思える自分に、小松遥は苦笑を零した。



「おい、神ア清華……だったな」
「はい……?」
 後ろから呼びかけられて振り向くと見知らぬ男。どこかで見たような記憶があるのだがどこで見たのかさっぱり思い出せず、清華は混乱した。それを余所に無精ひげを伸ばした男は言った。
「瀬崎、今どこにいるか分かるか」
「班長、ですか」
 瀬崎の名が出てくるということは絶対にいいことは起きない。それを入隊早々身を持って学んだ清華は、迷うことなく真実を述べていた。瀬崎本人からは絶対に言わないでほしいとのことだったが、仕事でも無いようなのでいいだろう。
「副隊長で遊びに行くと言っていました」
「…………」
 ものの見事に固まった男に、むしろ清華の方が戸惑う。清華としては聞かれたことを応えただけであるのだから、そんな反応をされるとどうすればよいのか分らないのだ。
「……あーっと、本当にそう言ってたんだな?」
「間違いありません」
「なら、内藤さんのところか……面倒臭え」
「あ」
「どうしたよ」
 思い出した。入隊試験の時に絡んできた男、である。その時に名を聞いていないから名前は分からないが、それでもどこかの班の班長なのだろう。そうであれば瀬崎を探す理由も頷ける。
「ああ、すみません、何でもありません」
「ならいいけどな。ああ、おれは2班班長の杉村栄治だ」
「宜しくお願いします」
「おう」
 そのまま踵を返し階段の方へ足を運ぶ。一瞬のちに清華も踵を返し鍛練場へと向かった。



「内藤さーん、居ますかあ……って、何してんすか」
 恐々とドアを開けると意外にも整った室内と書類を手にうっすらと笑う内藤とソファに座りにこやかに笑う瀬崎が杉村を出迎えた。いや、出迎えたのは瀬崎の満面の笑みだけで内藤は杉村に気が付いているのかすら怪しい。
「あ、遅いですよ。コーヒー冷めちゃうでしょう」
「お、おう。内藤さんは……」
「おいこら瀬崎」
 地を這うような低い声に本人ではなく杉村がそちらを見る。横を向いている瀬崎は相変わらずにこにこと笑ったままだ。だがその視界の隅では間違いなく般若を負った内藤の姿が見えているに違いない。
「なんですか。それに謝りましたよ。手が滑っちゃいました、て」
「ああそうだな。これが俺の端末に入ってるデータの書類だったら俺も怒らねえよ」
「あれ、違ったんですか? だったら林さんからの報告書ですか?」
 それは悪いことをしたなあ、とくすくす笑う。
「違え。あいつはいつもデータは送ってくる。紙で手渡しなんてまずしねえよ」
「あー、ぽいですねえ。じゃ、誰からの書類なんですか」
 確かに、いつだったか林から神ア清華についてのデータを受け取った時も手渡しではなくメール機能が使われた。けれどそんなことは瀬崎も知っているはずだから、やはりこれは完全な内藤への嫌がらせなのだろう。
 杉村は、この決して終わらない嫌がらせに溜息を吐きたくなった。第一、内藤も内藤なのだ。噂では何故瀬崎がこんな業務妨害にしかならないようなことをしているのか知っているのに止めていないのだという。内藤が班長だったころはそれでもよかったかもしれないがこれからもそれでは困る。はあ、と杉村は溜息を吐いた。内藤が杉村の方を見、軽く手を上げる。
「すまねえな、こいつの所為で使おうと思ってた書類が台無しだ」
指し示されるままに内藤の向かいのソファへと腰を下ろす。
「いえ。瀬崎、ここでも構わないんだよな」
「は? 内藤さんと話し合いですって、確かに伝えたはずですけど」
「……なら、こっちの伝達ミスだな。わりい」
「いえいえ。結局会えたわけですし。で? 内藤さん、ご用件は」
 真面目な顔をした瀬崎に言われ、内藤が頷く。
「ああ、今度、会合があるってわかっただろ。その件でな」
 内藤の顔にも瀬崎の顔にももうさっきまでの馴れ合っていた雰囲気は認められない。いつもこれだったら楽なのに、と杉村は嘆息した。



 当日の配備の確認を終え、残ったコーヒーを飲み終わるまでのわずかな時間。瀬崎が思い出したようにあ、と呟いた。
「ところでさっきの書類、誰からのだったんですか」
 結局使われず内藤の机の上に放置されたそれの方を見ながら聞く。
「ああ、後方部から、作業の進み具合とか、使える弾薬の数とかの報告が上がってきたんだよ」
「後方部って……じゃあ、遥さんからじゃないですか!」
「ああ。また頭下げねえとなあ」
 のほほんという内藤に、瀬崎が泡を食って立ち上がった。
「何で言ってくれなかったんですか! 僕が行ってきます!」
 空の紙コップをゴミ箱に入れることもせずに瀬崎は副隊長室を出て行った。杉村がそれを呆然とした面持ちで見送る。しばらくたって、口を開いたのは杉村だった。
「内藤さん」
「ああ?」
「なんで、瀬崎は小松さんに対してだけ、真面目、なんすか」
 そう聞くと、内藤はははは、と笑った。
「真面目だあ? 遥に対する亮はな、態度は真面目に見えても本音は不真面目だぞ?」
「は?」
 だから、と内藤は笑いながら言った。
「簡単に言うとな、あいつは今でも遥が好きなんだよ」
 初恋だったかな、と内藤はあっけらかんと言った。初恋、と杉村が呟く。この三人の付き合いが長いことは知っていた。だが、初恋まで知っているとは、いつからの付き合いになるのだろうか。少なくとも、いま杉村の周りに杉村の初恋を知る者はいない。
「初恋は叶わないっていうのにな。青いよなあ」
 また、内藤が笑う。それから思い出したように、瀬崎には言うなよ、と念を押された。








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