03







 一遍死んで生き返ったらいいのに。
 神ア清華は心中でそう毒づいた。死んでしまえとは言わない。笑える冗談ではない。此処では死というものは本当に身近であり遠い世界の軽いものではないのだ。実際、清華が入隊してからも一か月に必ず一人は重体者が出ている。そしてそのうちの半分がここにはいない。
 もうすっかり覚えてしまった道を駆ける。なんだって我が上司はあんなに人使いが荒いのだ。人に頼む前に自分で少しはやればいいのに。瀬崎への愚痴を延々と溢しながら廊下を駆ける。書類を持つ人にはぶつからないように、慎重に。
 目的地のドアを見つけて少しスピードを緩める。ノックなんてものはせずに殺風景なドアを押し開けた。
「一斑、神ア清華です」
「おう」
 その短い答えがどれだけ彼女がここにきているかを示していた。
「ご苦労。今日はどうした」
「はあ……なんでも書類が来てないとかで」
「はあ? さっき瀬崎に会ったから渡したが……」
 怪訝そうな表情が、すぐに呆れたものに変わる。
「成程、だからさっきあんな悔しそうな顔したのか」
「はい?」
 だから、と内藤は苦笑した。
「此処のプリンターのインクをわざわざ抜き取って俺の仕事が遅れるようにしといたんだろ。でもって遅れた書類をお前に取りに行かせる。これであいつはたった一つのことで2人の人間で遊べるわけだ」
 困った奴だよなあ、と嘆息する。
「昔はこれほどじゃなかったんだけどな」
「?」
 昔、ということはそれほど長い付き合いなのだろうか。この、ほぼ完全に実力主義の閉鎖された空間で。無意識に軽く首を傾げる。内藤の目が若干細くなったような気がした。
「ところで、」
「なんでしょうか」
 そう答える首はもう曲がってはいない。
「おまえ、確か訓練中とかじゃないのか」
 行かなくていいのか、と言外に問われ清華は顔を青く染めた。
「そうだった……。すみませんでした副隊長、では私はこれで」
 捲し立てて踵を返そうとしたところで落ち着け、と声をかけられる。首だけ後ろに戻してなんですか、と問うた。
「コーヒーでも一杯どうだ?」
 いいんですか、と声が弾んだのが自分でもわかった。何しろ鍛練場からここまでは遠い。それをエレベーターを待つ時間が勿体無いと言って階段で駆け上がってきたのだ。喉が乾かないほうがおかしい。
 差し出された椅子に座ってコーヒーを口に運ぶ。悪魔かと思う上官の笑みはすでに遠ざかっている。



「副隊長」
 ドアが開く音と共に響いた声に清華は立ち上がった。
「じゃ、私はこれで失礼します」
 ごちそうさまでした、といいつつ紙コップをゴミ箱へ放り投げる。
「ああ、……また来い」
 また、と言われても、と思いつつ会釈を返してドアの方へ向かう。入れ替わりに入ってきたのは清華とほとんど身長の変わらない小柄な男だった。副隊長っていうのも大変だなあ、と思いながらドアを閉め、今度はエレベーターの方へと駆けだした。



「何かあったか」
 先ほどまで少女に見せていたのとは全く違う顔で見つめられて男――林享は思わず姿勢を正した。
「ええ。例の、狐の巣に関する情報です」
 内藤の目が細められる。これは、いわゆる獲物を狙う時の彼特有の表情だった。
「……言ってみろ」
「はい。今月第三土曜日、つまりは来週の土曜日の夜、高田ホテルでパーティーと称した会合があるそうです」
 高田ホテルとは都内きっての老舗ホテルで、創業百何年という歴史あるホテルである。元は京にあり名前も違ったらしいのだが、東京に進出した際に名前を変えたらしい。最も、京にあった方はすでに潰れて久しい。
「……随分と急な話だな」
「申し訳ございません、おそらく計画はかなり前から進行していたものとみられます」
「いや、いい。今お前が見つけてくれなかったらもっと大変だっただろうからな。ご苦労だった」
 いえ、と返し目を伏せる。人間関係が希薄であった林は褒められることに慣れていない。だから組織に所属する話が出た時には非常に迷ったのだが、最終的にこの男に押し切られてしまった。そのことは悔やんでいるわけではなく、むしろ感謝している。
「では、報告は以上です。また何かあったら伺います」
「おう。ご苦労さん」
 隊内で一番苦労していると思われる人間にその言葉を掛けられ、林は黙って頭を下げた。







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