02







 いつものように、遥の車に乗って寮へと帰る。特筆すべきことはない。特筆すべきは、その日の夜に起こった。
 清華は、夢を見た。
 “あの日”よりも前、まだ隣で彼女、怜が笑っていたころの夢。ずっとこの時が続くと信じていた、あの頃。
「清華、髪切っちゃったんだ? 残念。長いの、好きだったんだけどなー」
「また、伸ばすよ」
「ほんと? 嬉しい!」
 夢の中で、怜が笑う。夢だと分かっていて、清華も笑う。
 だが、懐かしく暖かい情景は、一瞬で消え去った。
 何かが落ちる、硬い音。今ならその正体も分かる。そして、あの時と同じように爆風に襲われ、清華は地面に突っ伏した。
 焦げ臭いにおいと、同じ学校の制服を着た友人。そして隣の、ついさっきまで一緒に笑っていた、彼女。夢だと分かっていても、溢れ出す感情を押えられなかった。
「清華ちゃん!」
 肩を揺すられて、目が醒めた。たまっていた涙が頬を伝う。目の前には、暗くて細かくは分からないが、それでも心配そうな顔をした遥。
「……遥、さん」
 呆然とした声で紡ぐと、遥がほっと息をついた。
「魘されてたみたいだけど、大丈夫?」
「……ええ、まあ」
 視線を下に落とし、言う。今日はこの後寝れないかもしれない。そうなったら明日の隊務に響いてしまう。どうしようかと思って清華は溜息を吐いた。途端、抱きしめられる。
「……遥さん?」
「やっぱりだーめ。清華ちゃん、放っておけないもの。そんな顔して、放っとけるわけないでしょ?」
 気づかないとでも思った? と優しく言われ、止まっていたはずの涙が再び溜まりだす。そんなところを見られたくなくて、遥の肩に顔を落とす。ぽんぽん、と背中を優しく遥が叩く。
「たまには、頼ってみるのもいいんじゃない?」
「……遥さんは、2年前の、通学途中の政府高官令嬢二人を狙ったテロ事件、知ってますか」
 肩に顔を落としたまま言う。鼻声になっているのが分かって、思わず清華は鼻を啜った。それに覚えてるわあ、と遥が答える。
「正式には、4.27テロね。狙いは政府高官の娘だけだったのに構わず他の生徒も巻き添えにしたっていうのが散々ニュースで報道されてたわ」
「私は、それで妹みたいに思ってた友人を、殺されました」
 遥は、何も言わず、ただ背を撫でていた。
「彼女が褒めてくれた髪も、切りました。その方が、怜がいないってことを意識できるから」
 優しく、遥が背中を撫でる。
「……願掛けって、知ってますか」
「知ってるわ。おまじないみたいな」
「はい。いつだったか、昔はそんな風習があったって聞いて。忘れないために、意識しないように」
 回りつづける口は止まらない。
「ずっと、怖かったんです。怜はもういないことが。思い出さないように短くしてたのに、入った途端これなんて」
「いいのよ、分かんなくて」
 あやすように背中を撫でながら遥が言う。
「分かる必要なんてないの。でも今、清華ちゃんはどうしたい?」
「……もう一回、髪を」
 ず、と鼻をすする。涙は気にならなくなってきた。
「伸ばしたい、です」
「いいと思うわ」
 あっさりと言われ、思わず清華は顔を上げた。てっきり、復讐ではないのかと聞かれると思っていたのに。
「今、清華ちゃんが自分でどうしたいか分かってるならそれでいいの」
 優しく、遥は笑って言った。もう一回、あやすように背を叩かれる。
「ほらほら、明日も朝早いんでしょう? 顔洗ってちゃんと寝なさい」
「……はい」
 不思議なことに、さっきまでとは逆に朝までぐっすりと眠れそうな気がした。

 清華が眠りに落ちたことを確認して、自分のベッドの上に放ってあった携帯をとる。いつもならメールにするのだが、今日のことは会って話がしたかった。
 もう指がおぼえた番号を躊躇いもなく打つ。数回のコールの後、相手はいつも通りの不機嫌そうな声色で電話に出た。
「隼人? あたしよ」
 手短に今から部屋に向かう旨を伝うと伝えれば、すぐさま了承が返ってくる。そのことに安心するも、その気安さに物悲しくなる。やはり自分では彼の一番にはなれない。
 まだ肌寒いだろうから、とカーディガンを羽織って部屋を出た。

 つーつーとうるさい携帯を閉じ、内藤は少し目を閉じた。やはり目が疲れている。仕方がない、嫌でもそうなる仕事だ。それに、今考えるべきはそのことではない。
 神ア清華。入隊試験時に幹部全員の右耳横を打ち抜いた期待の新人。彼女を入れる入れないで杉村と口論になったのも記憶に新しい。情報班所属の林のおかげでどうにか入隊させることはできたが、まだ彼女を不安視する者もいる。
「くそったれ」
 悪態を吐いて煙草に火をつける。隊内の不和は命取りだ。特に幹部において。
「くそったれ」
 もう一度悪態を吐く。フィルターを噛むとがり、と硬い音がした。
 翌朝。清華は昨夜の懸念はどこへやら、ぐっすりと眠りすっきりと目覚めることができた。温い布団を体から引きはがし冷たい床に素足をつける。ベッドは結局借りちゃったな、といささか遥に悪い思いがした。
「……遥さん?」
 そう言えば、このベッドの持ち主はどこへ行ったのだろうか。てっきり清華のベッドを使っているのかと思ったのに、布団は冷たいし、部屋の中から物音も聞こえない。首を傾げつつ居間へ行く。
「……え」
 居間のソファに遥は座っていた。目の前のローテーブルには普段この部屋にはないワインのボトルとグラスが置いてある。
「おはよ、清華ちゃん」
「え、あ、おはようございます。どうしたんですかこれ……」
「あの後、ちょっと眠れなくてね。お酒飲めば寝れるかなーって思ったんだけど」
 見事に失敗しちゃった、と遥は苦笑して言った。目の下には隈が浮いている。
「大丈夫、ですか?」
「平気よ、平気。それよか清華ちゃんがしっかり寝れたみたいでよかったわ」
 遥が寝れなかったのが自分の所為だとしたら申し訳ない。しゅん、と清華が頭を垂れる。
「清華ちゃんの所為じゃあないわよ」
 だから落ち込まない、と見透かしたように遥が言う。
「あんの馬鹿男、ほんっと最低」
 馬鹿男が誰かなんて、怖すぎて聞けなかった。







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