むかしのはなし






「あんたさ、なんでここに来ようと思ったの」
 遥がさして興味もないように聞いた。内藤は僅かに眉をひそめ、ゆっくりと口を開いた。
「親父が、作ったから」
 その声は予想よりも小さく、思わず怪訝な顔をする。
「ていうかお前こそなんだ、いきなり。来てから、後悔でもしてるのか」
 まさか、と遥は笑った。
「あたしは後悔なんてしてないわ。ただ、興味があっただけよ」
 そうかよ、と内藤が小さく笑う。いつもは自信ありげな笑みしか浮かべないから、そういう表情は新鮮だ。だが、不安にもなる。「どうしたのよ」と言いながら、内藤の方へ身を乗り出した。
「どっか、体調でも悪いの?」
「いや、別に」
 そう、あっさり返されても、この思わず意気込んでしまった思いはどうすればいいのだろう。嫌な沈黙を取り繕うように、再び口を開いた。
「ね、あんたのお父さんがTPFをつくったの?」
「一応、そうらしい。ただ、その時おれはまだガキだったし、よく覚えてないけどな」
 そう言って内藤は目を閉じた。

 隼人が小さい頃、家にはよく知らない人たちが出入りしていて、父親と小難しい顔をして話し込んでいた。時には母親も加わっていた。それでも、隼人に気付くと大人たちは揃って隼人をかわいがった。父の友人たち、と隼人が勝手に思っていた人たちはよく隼人の父を褒めた。
「君のお父さんは皆を守る仕事をしているんだ」
「立派だ」
「誇れる父を持って良かったな」
 言われる事柄はすべて曖昧で、よく分からなかったが、父がすごいのだ、と言うことだけは分かったから隼人は嬉しかった。
 あるとき、学校で親についての作文を書いた。これまで聞いていたことを書いたら、クラス中に馬鹿にされた。担任は何も言わなかった。なんでか、父親の詳しい仕事は知らされていなかった。きっと、子どもの口から情報が漏れることを恐れたのだろう。隼人の家は特別保護区域に入っていなかったし、周りは普通の住宅街だった。
 とにかく泣くことだけは嫌で、小さな拳を握りしめたまま家に帰った。親に騙されていたのではないかと言う恐れと、クラスの面々に対する怒りでいっぱいだった。玄関を開けた母親の顔がひどくびっくりしていたから、相当凶悪な表情をしていたのだろう。洗いざらい話すと、黙って母が抱きしめた。そろそろ照れくさい年頃で、いやだと突っぱねたがまだ叶わなかった。けれど、両親が自分をだましていたのではないことが分かって安心もした。そのとき、隼人は大衆とは絶対でないのだ、ということを知った。
 小学校の休み時間は大抵ドッジボールに費やしていた。小学校の狭い社会では、運動、特にドッジボールが強ければ大抵のことはどうにかなる。幸い両方ともそこそこ得意だった隼人は馬鹿にされた次の日から早速誘われ、社会復帰を果たしていた。馬鹿にされたことを忘れたわけではなかったが、それでこの誘いを断るのは子供っぽいと思った。
 だから、それから何年かたって高学年になったその日も、隼人は校庭でドッジボールをしていた。注意が逸れていたやつを狙い、命中させ、油断することなく後ろへ下がる。しかし、弾は飛んでこなかった。その代り、誰かが隼人を呼んだ。
「おーい、隼人、先生が呼んでる!」
「はあ?」
 なんだよ、いいところなのに、と思いながら、渋々足で引いた線をまたいで校庭に出ていた教師の元に駆け寄った。面倒な用事はさっさと済ませて早くあの場に戻りたかった。それなのに、教師が掛けた言葉は予想すらしていなかったものだった。
「今すぐ、荷物を全部持ってきてください」
「え?」
「いいから、早く」
 切羽詰った様子にただ事でない雰囲気を感じて、慌てて教室へ戻った。どうせほとんど置勉していく予定だったから荷物は大してない。とりあえずプリントをまとめたファイルと筆箱だけはしっかり入れて、かばんを肩にかけた。ランドセルはもう持ってきていなかった。
 階段を駆け下りて、教師の元へ走る。靴にかかとを入れるのに、やけに手間取った。肩で息をしている隼人を見て、担任はぐ、と顎を引いた。校庭のわきを通って職員玄関の方へ回る。まだドッジボールに興じていたクラスメイト達が隼人を見つけて声を上げた。
「あれ、隼人、帰るのか?! いーなー!!」
 ああ、と手を振る。実際、気分は酷く悪かった。
「鈴木先生」
 担任が声をかけた。校門の方を向いていた教師がこちらを振り返る。げ、鈴木だ、と思わず隼人は身構えた。この鈴木と言う教師は隣りのクラスの担任で、隼人たちにも体育を教えているのだが、酷く厳しいことで有名だった。鈴木はゆっくりと頷き、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「ええ。……内藤君、ついてきてください」
 歩き出した鈴木に、慌ててついていく。校門をくぐる前に、どうにか声を上げた。
「あの、何があったんですか」
「……伊藤先生から、聞いてない?」
 伊藤と言うのは、担任の名前だった。頷くと、鈴木が溜息をこぼした。
「……君のお父さんとお母さんが、事故に遭われたそうです」
 連れて行かれた病院で、父と母の死を知らされた。嫌な予感が現実になった。

「……結局、俺は父親が何を守ってたのか知りたかったんだ」
「そう。で、分かったの?」
 遥が聞くと、内藤は微かに笑った。
「まあ、多分」
「多分って何よ」
「合ってるかどうか自信がない。答え合わせもできないしな」
「……合ってたら、満足するの?」
 しばらく、内藤は考え込んだ。行儀悪く机の上に足をのせ、椅子の背もたれに体重をかける。灰色のそれがかかる力に合わせてしなった。
「……無理だなあ」
「……でしょうね」
 なんだよ、わかんのか、と内藤が投げやりに聞いた。ええ、と答えてやった。
「教えろよ」
「いやよ。あんたが自分で見つけるべきだわ」
 父親を超えたい、なんてばかげている。目の前の男は、充分にそれを成し遂げているのに。父親がつくった夢を、ここまで綺麗に引き継いだ息子がほかにいるだろうか。
 そんなことを口に出してやるつもりは毛頭なかった。








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