石と蝉と絆創膏






 蝉が鳴いている。よくよく聞いてみて初めて思ったのだが蝉の鳴き声はザ行の音よりラ行の音の方が近い気がする。かといって蝉の声をジーではなくリーにしたら秋に鳴く虫の声になるんだけれども。というかこれは中間か。元々人と虫、表現できない音があるのは当然。そう考えて、俺は考えることを放棄した。これについては。
 指に貼った絆創膏がかゆい。かゆい、しかも鼓動に合わせてじんじんと疼く。そのことに溜息を吐く。こんなへまするんじゃなかった、と。
 美術の時間に彫刻刀で切ってしまった。結構さっくりいったのを放置して彫刻刀を動かし続けていたら教師に怒られた。あのおばさん、ヒステリックで嫌なんだよな。
 足元に落ちていた石を軽く蹴る。大きすぎるのか、大して転がらなくて苛々した。もう一回、蹴ってみる。やっぱり大して転がらない。むきになって蹴ろうとしたところでざっという靴の底のゴムが地面を滑る音とともに石が飛んで行った。そのまま2回ほど撥ねて道の脇に入る。取りに行くのも馬鹿馬鹿しくて、溜息を吐いた。
「どした? 元気ないねえ」
 自分より多少低い位置で猫のような目が笑う。身長は大して違わないはずだが、猫背の所為で低くなる。その癖もっと身長が欲しいと言ってるんだからどうしようもない。まあ、本人が猫背を自覚しているだけましとしておこうか。
「……別に。ただおばさんのキンキンした声が耳に残ってるだけだよ」
「あー、あれはきつい。本人が自覚してないのは罪だねえ」
 声を出さずにけたけたと笑う。
「あ、あと西日がきつい」
 思い出したように付け加えた語にそいつが噴き出した。実際思い出したのだ。そういえば今日国語の授業できつい西日がどうたら言ってたなあ、と。
「付け足したように言うなよ。おばさんのキンキン声なんかよりもっと身近だろうが」
「いや、慣れてるだけ分かりづらい。人間の体は慣れるようにできてるからな」
「あー、それは言えてる。あれだろ、電車の中とかでの香水の匂いとか」
「まあ、そうだけど。人前で言うなよ? 失礼だから」
「言わないよ。顔そむけて鼻押えるくらいはするけど」
「うっわ嫌味」
 それくらいの嫌味は言って、というかやってもいいと思うけど。
 駅までの道のりを、笑う。全く、世の中ってのも捨てたもんじゃない。たとえ世の中三島由紀夫が馬鹿にしていいと言っていた教師が埋め尽くそうと、理解してくれる奴はちゃんといる。……いる、はずだ。
「じゃー、夏休み明けかね、次に会うのは」
「お前、補修あるだろ。そん時に会うよ」
「あー残念。夏休み明けまで会えなかったら抱きついて俺の愛を表現してやろうと思ってたのに」
「いらねえよ気持ち悪い。……じゃな。ばてんなよ」
「お前こそ」
 手を軽く振って別れを惜しむ。はずだったのだが、なぜか途中まで歩いてそいつがくるりと振り返った。
「やーめた」
「は?」
 一人で帰るのは、つまらないとそいつは言った。その言葉に、笑う。
「どうした? 彼女に振られでもしたか?」
「違っ! 振られてなんかいませんよー。今日は医者とかで帰っちゃったんですぅー」
 要は、一人だということだ。素直にそう言わない友人に、笑う。笑われたそいつは、むっとした表情でこちらを見ていた。そのことにごめん、と謝っておく。一応。
 そういうそいつの顔は、まあ、なかなかに整っているのではなかろうか。低めに見積もっても、10人見れば3人は可と答えるであろう。ふわふわとしたくせっ毛に、日本人としては彫りの深めな顔。おまけに女性には優しくをモットーとしてるから女子からは好感度も高いはずだ。しかも気紛れ。ただのフェミニストではない。そういや、どっかでフェミニストは好かれないとか言ってたっけ。なんでも、女性に優しい自分に酔っているそうだ。こいつはどうなのだろう、と思ってやめた。女子の感情など知るはずもない。
「お前は? 彼女とか、いねえの?」
 そうのたまったそいつに、真剣に驚きの眼差しを向ける。おかしいんじゃなかろうか。
「……あのな。たとえ世の腐女子が眼鏡萌えー!! とか叫んでてもそれ、美形限定だからな。俺とかキモヲタ決定だからな。知ってる?」
 そう言うと、そいつは明らかにむくれた。
「えー……ま、そりゃ知ってますけどね。……いい奴なのになあ」
「お前にそう言われりゃ十分」
 たとえ、今女子に好かれずともいつか好いてくれる酔狂な女子はいてもおかしくないはずだ。……多分。だから今は友人だけでも十分。そういう意味で言ったのだが、こいつは別の捉え方をしたらしい。
「えー嘘、お前ってば僕のことそういう目で見てたの? いがーい」
「…………馬鹿か、お前」
「……ちぇ。折角からかってやろうと思ったのに」
「やー、乗るのも面倒くさい」
「酷いなあ」
 くすくす、と笑う。面白がっているそいつを尻目に、いつの間にか着いていた駅の改札をくぐる。
 そういえば、うちに帰るまではまだ休みじゃないんだっけ。そんなことを思いながら隣のそいつに声をかける。
「なあ、どっか寄ってかねえ?」
「あー、いーよ。やることないし」
「あるだろ。宿題が沢山」
「思い出させるなよ、馬鹿」
 俺たちの夏休みは、こんなふうに始まった。








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